エコヴィレッジ川越仲町
目次
快適への入り口
涼しく過ごす術
快適環境の源泉となる
風を呼び込む、風を作り出す
住まいを変えた高気密性
川越仲町の「エコミックス」
向こう三軒両隣
おまけ
快適への入り口
おまけ
夏のカンカン照り・・・今も江戸時代も変わらない現象です。でも、江戸の街は今の東京よりずっと涼しかったはずです。なぜでしょう。クーラーの室外機が発する熱気がなかったから、というのもひとつ。でも、もっと大きな要因は道路が舗装されていなかったから、といわれています。つまり、ヒートアイランド現象と呼ばれるものがなかったのです。江戸時代に、道路の舗装技術がなかったわけではありません。甲州街道の一部や、神社仏閣の参道などは立派な石畳になっていました。でも、江戸市中の道はほとんど未舗装。その理由は、舗装道路が太陽熱を吸収して、街全体を温めるのを避けるため。泥道ならば、水をまいて表面を濡らすだけで道路表面の温度が10度ほど下がるのです。

それで、街全体の温度も高くならず、今の東京よりずっと涼しかったというわけです。時代劇で、丁稚や女中さんが店先で撒いていた水が着物にかかり、通りかかったやくざや浪人にからまれるというおきまりのシーン・・・あれにはちゃんとリアリティがあったのです。
人口が百万を超えていたといわれる江戸。この時代の世界有数の大都市といえる存在です。ご府内と呼ばれるその領域は、今の東京二十三区のざっと六分の一。その中の約半分が農地だったといわれています。さらに、合わせて約三分の一の武家地や寺社地にも多くの樹木が繁っていたと考えられます。つまり、江戸の人々は田畑の緑や樹木に囲まれて暮らしていたのです。


森林の面積はおよそ三十平方キロメートル。これは、人口が百二十万人とし、彼らが発する熱量を冷やすのに必要な森林面積の十倍にあたるといわれています。今の東京では当たり前のような熱帯夜は、前述したヒートアイランド現象が大きな原因といわれています。それがなかった江戸の昔は、熱帯夜もうんと少なかったのかもしれません。

「家の作りやうは夏をむねとすべし。冬はいかなる所にもすまる。あつきころわろき住居はたえがたき事なり」と、家の作り方を説いたのは「徒然草」を書いた兼好法師。高温多湿なこの国では、冬の寒さは何とかしのげても、夏の暑さは耐え難いものだという感覚が、かなり昔からあったようです。

そこで、伝統的な日本の家屋はいずれも夏を涼しく過ごすためを第一に考えて作られています。表から奥へと抜ける通り庭はその一例。狭い敷地でも奥前栽や坪庭を設けると、風の対流が起こり、室内が涼しくなります。また、表や通り庭に打ち水をするのは、夏の日には欠かせない日課。水分蒸発による気化熱が温度を下げ、涼しげな風を起こしてくれます。軒には風鈴が吊られ、涼しげな音色が響くと、それだけで気分が変わります。

日本では木造が主流です。しかし、木造建築の弱点は保温性。つまり、江戸の家屋はあまり冬向きにはできていませんでした。しかも、今のような強力な暖房はありません。江戸の人々の冬は、相当に寒かっただろうと思われます。

そんな江戸人の燃料は主に木炭。煮炊きも、火鉢の暖も、風呂の燃料も安価な木炭でした。例えば、江戸人に愛用された七厘は、銭一分もいらず七厘で炊事ができるから、その名が付いたといわれています。日頃から省エネルギーでエコロジーな暮らしを実践していた江戸の人々が、現代の暖かいマンション生活を体験してみると、きっと腰を抜かすほど驚き、羨ましがるのは間違いありません。