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地主さんの思い
松蔭エコビレッジ(コーポラティブハウス)の元地主さん 鈴木 誠夫 氏
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PROFILE
世田谷区役所の側にお住まいになられていて、昨年、お母様をなくなられ、相続税で莫大な費用が発生し、住んでいた自宅の敷地を切り売りをせざるを得ない状況にあった。また、敷地内に思い出の詰まった築150年以上の民家も存続の危機が迫っていた。 |
<世田谷のコーポラティブ住宅を建設予定の地主さんをお招きし社内でお話を伺いました。地主さんとしては相続対策で自分が生まれ育った愛着のある土地をやむを得ず売らなければならなくなった状況などから、地主さんの立場、土地の使われ方、住まい作りへの考え方、人との関係など様々な思いについて語っていただきました。>
おやじが亡くなったのが6、7年前。そのとき貸家が100軒近くあった為、かなりの相続税を払わなければいけなくなった。借地の物納などで払っていましたが、とうとう自分の家の敷地も売らなければ相続税が払えなくなってきた。遠いところから売っていくときにはなかったのですけれども、いざ自分のところの土地、隣にかかってくるとやはり思いが違うのです。むにゃむにゃぐちゃぐちゃしてしまうのです。すぱっと売れない。
もう少しどこか知恵がないかなと思いながら、いろいろなNPOをやっている友達に聞くと、それがぱっと広がった。「空いている土地を使いたい」というふうに来たわけです。そのとき「ぜひうちでやってみたい」という案が三つぐらいありました。そこで、ここの環境を残したりこういうふうになったらどうだろうという趣旨を言った。ビルだけはやめようと。
ただ一番効率のいいのは、全部伐採して、母屋のところを更地にする。そうすると現金化は楽だし、大体大手が入ってきて、すぽっとやってくれそうなのです。びっちり建てる。しかしそれをやると家のほうもまいってしまうし、それだけ急に払ってもらっても、そのお金はまた問題が大きすぎる。半分は売らないで残しておこうという条件で、幾つかのディペロッパーと取引のお話も出てきていたが…。そこでまた考えるわけです。自分はこれがいいけど、家族のほうが嫌だという。あるいは自分はいいのだけれども、自分のやっている小さな会社があるのですが、そこの経理の者がそれを税理的に何というか。難しいことになっていって、自分のその思いというのではそう簡単に動けないと思っていた。
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鈴木さんの自宅の庭での写真。この屋敷林を極力活かしながら、この地に環境共生型コーポラティブ住宅が建つ。向こうに見えるのが、築150年以上の母屋。 |
あるとき、NPOの人がコーポラティブ住宅の話を持ってきてくれ、自分では「これ、いいな」と思って、こういう計画が本当にできるのかなと。一応、心の中では「これいいんだけどなあ」と。けれどもあと何人か聞かなくてはいけない。最終的には奥さんの意見を聞かなければ全然男は動けないというところがあったりする。特に大きなことのときには、男一人では全然決められない。酔ったときは調子がよくてどんどん決まるのですけれども、ほとんどの場合、「あしたまで待ってくれ」と。奥さんの意見を聞いてくると、ほとんどキャンセルになってしまいますね。
そういうような傾向にあるのを知っているので、家族に言うのも冷や冷や、それから会社の経理の者に言うのも冷や冷やだったんですけれども、あと1人入れておいて、どう思うのか素直に聞いてもらおうと思って、計画の説明をもう1回してもらった。実は説明を受けた中に建築家の仲間が1人いて、いろいろなことをやってきた男なのですけれども、「おれ、建築家としては本当はこういうのをやりたいんだよなあ。おれだったらこんなふうにやりたいな」と、ふっと漏らした。それから女房のほうも「私、絶対こっちがいいわ」。「おっ」と思ったのです。もう1人の経理の者というのは、「金がちゃんと払えるのだったら、どっちでもいい」と。お金の問題に対してきっちりと押さえてくるわけです。
それで、金の問題だったらこれで行けるのではないかということから、これがいいと。けれども、こっちがいいと思っても、本当にやってくれるのかどうかが心配でした。なぜこんなに手のかかることをやるのだろうと。こうなればいいじゃないと思っても、実際に本当にできるのかなと。計画の中では50トンのケヤキを動かしたり、あそこに森をつくるという……。「本当?」と聞くと、「いや、それがエコ住宅というんです」という。
そのあたりで、今まであった割合苦労のない伐採型の建築のハコをつくるところには「なかったことにしてください」とお断りしました。
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地主の鈴木さんが熱く思いを語っている様子。 |
自分たちが育ったころは、マンションという言葉ができ始めのころです。うちは古い家に住んでいたから憧れでした。何とかマンションという名前のお家(うち)に、人生のうちに1回でもいいから入ってみたい。テラスがあって、ドア1個でもって風呂ではなくてシャワーというのがあって、テーブルがあって、洋酒を飲んだりというのが、すごい憧れでした。遅く帰っても鍵1個でいい。
そういうのに憧れながら、実際に周りがやり出すと、隣の人はもう本当に壁をつくって閉ざしてしまうような感じです。自治会や組合があっても、役員をみんなやらない。ごみ出ししない。「どうぞ、どうぞ……」、「もう鈴木さんしかいない」とかと言いながら、押しつけながら。後のことも大変だし、共同生活というものはマンションの中ではゼロなのではないかという感じすら持つのです。マンションを売っている人たちにこんな話をしてごめんなさい。
そういうことを感じたりしていた中で、今回このコーポラティブハウスの説明会の状況をみていると、本当はみんな横の関係も共同生活をしたらもっとおもしろいのではないか、と思っていることに気が付いた。この説明会にネットで集まった人たちとか、知り合いとかがものすごく集団とか共同ということに飢えているということがわかるのです。隣の家と一緒に、それぐらいいいじゃないか、踏みはずしたって、うちがやってあげるよという感じがどうも存在しそうだ。そういうふうな方が多かったようです。こちらが思ってしまっているのかもしれないのですけれども、説明会に来た人が実際いい人が多かった。よく聞いていてくれて、途中で帰らないのです。3時間〜4時間ぐらいの会で、1人も席を立っていかない。最後の最後までいるというのも何かうれしくなってしまった。木を残すということを言っただけで、こんなに反響があるのかと。これからは、建築のほうではただ建物をつくっているばかりではおもしろくない。この木を一つ一つをどうやって生かして住宅が建てられるのかというほうが、やり方としてはおもしろいですね。
うちは、ほかの家に比べれば木があるかもしれませんけれども、森というほど木はあまりないのです。もともと自然が好きで、ジャングルとかそういう自然に相対するのはいまだに好きです。そういうのが森というので、うちにあるような木は森とは言わないと思っていたのです。しかし、そう言ってしまえば始まらないわけで、やはり1本の木も森として見ようと思えば、木の細い根っこなどを見ると森なのだとこの頃思います。今、うちにある50トン級のケヤキは世田谷ではけっこう珍しい。それを移植しよう、それを守ろうという動きがこの計画にはあるのです。
ただ、人間だけが一所懸命頑張って家をつくっても自然はそうは行かないというところがある。しかし、共生というのは人間同士の共生ということと、それから自然との共生というのが絶妙に絡まっていくことなのかなと、このプロジェクトを通じて強く感じました。
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勉強会の様子です。いろいろお話を聞いて、質問などもでてきました。 |
関連ページもご覧下さい。
樹齢300年のケヤキの移植などの様子も掲載しております。
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